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サムネイル画像 左:お手伝い妖精”ノーム”ケーキ 中央:ブロッサムフレンズ お手伝いの妖精”ノーム”贈り物 右:お手伝いの妖精”ノーム”コーヒーグラインダー
6月第3日曜日は父の日ですね。
母の日同様、世界各国で父の日というものは存在しています。
日本はアメリカから伝わってきたということで、同じ6月第3日曜日に定められています。
また、ドイツの父の日は、キリスト昇天祭と同じ日だということで、その日は毎年変動します。
キリスト昇天祭は、イースター(復活祭)から数えて40日目にあたります。今年は5月18日でした。
ドイツの父の日には、父親だけではなく、男性は集まってビールを飲み歩くのだそうです。
母の日に贈る花の定番はカーネーションですが、父の日にはバラの花ですね。こちらも、父が健在の場合は赤いバラ、墓前には白いバラというのが始まりだったようです。
日本では、母の日にカーネーションを贈るほどには、父にバラを贈るという習慣は少ないように感じますが、いかがでしょうか。
私自身、父にバラの花を贈ったことを、人生を振り返ってみても思い出せません。
決して仲が悪かったということはなく、むしろ関係は良好でした。
しかし、私がまだ小さかったり、若かったりした頃の、当時の一般的な父親像と、今の父親像では少なからず隔たりを感じます。
私の記憶にもあるのですが、日本では1985年男女雇用機会均等法が成立しました。少しずつ法の改正を経て、女性は社会進出し、経済の浮き沈みや少子化などの背景もあり、世の中の、仕事、労働に対しての考え方や価値観、捉え方、様々なものが変わってきたように思います。
昭和のあの時代、父親が外で働いて、母親は家事をする。その姿はとても平均的な日本の家族の形であったと思います。
父親は仕事で家にいる時間も少なく、家にいる母親とコミュニケーションを取る時間が長い。それはどこの家庭でもよく見られた光景でした。
言い訳になってしまうかもしれませんが、接する機会の少なかった父と話すのはどことなく気恥ずかしく、父の日に感謝を伝えることにはほんの少し抵抗感がありました。
しかし、感謝の気持ちがなかったわけではないのです。尊敬もありました。
家族を愛していたからこそ、責任と重圧を一身に背負い、守ってきてくれたのだと時を経た今ならわかります。お互いに言葉がなくても、通じ合った父の愛と子供たちの感謝の気持ち。
今は時代が変わり、父親も母親も外で働く世帯は多く、家族の在り方も変わりました。
家族で過ごす時間が増えたことで親と子の距離もぐっと近くなったように思います。
あの頃、遠くに感じていた「父親の背中」。
距離が近づくことで、かえって、どんな気持ちも言葉にしないと伝わりづらい時代なのかもしれませんね。
働いているお父さんにも、お母さんにも、すべての働く人へ、尊敬の気持ちと感謝の気持ちを言葉で伝えられたら良いなと思います。
もし、それでも照れくさかったら、働き者のお手伝い妖精”ノーム”をそっと贈ってみるのも良いですね。