この記事をシェアする
サムネイル画像:左 ブロッサムフレンズ そりを運ぶ女の子 中央 ブロッサムフレンズ ツリーを運ぶ男の子 右 ネコ
11月12日は、ヴェントアンドキューンのあるザクセン州では、祖父母の日でした。
祖父母に敬意を表し、共に過ごしたりお出かけをしたりするような日で、多くの人は手作りのプレゼント送るというのが定番になっているそうです。
日本にも同じように敬老の日がありますが、皆様は今年の敬老の日をどうお過ごしになりましたか?
現在のヴェントアンドキューンは、孫たちの代へと受け継がれています。
1915年10月1日、グレーテ・ヴェントは、マルガレーテ・キューンとともに「M. Wendt u. M. Kühn」を設立しました。
順調に会社は成長し、1919年1月にはグレーテ・ヴェントの兄弟、ヨハネス・ヴェントが会社の経営を行うことで、共同所有者となりました。
1920年にマルガレーテ・キューンが工房を去り、オリー・ゾンマーがやってきました。オリーはグレーテの兄であるヨハネス・ヴェントと結婚し、後の2代目となるハンスと、シグリッドの双子が生まれました。
ハンスの末息子のトビアス・ヴェントが3代目として家業をついだのち、現在はトビアスの兄弟であるクラウディア・ベア(旧姓ヴェント)とフロリアン・ヴェント博士が経営を引き継いでいます。
クラウディア・ベアにとって、創設者のグレーテ・ヴェントは大叔母にあたります。
会社にはプライベート写真が数えきれないほど保管されており、家族で過ごすクリスマスの写真もあります。
親と子だけではなく、さらに孫へもずっと続く愛情と、受け継がれていく意志や願いがあるのだと思いました。
今日のヴェントアンドキューンの変わらない愛らしさや親しみがあるのは、そうした目に見えない愛情を感じるからなのかもしれませんね。
私の両親はともに7人兄弟であったこともあり、私は祖父母に対してとても距離を感じていました。
数多くいる孫の内の一人でしたし、従妹たちは皆もっと年上でしたので、自分の印象はそれ程ないものだと思っておりました。
母方の祖母は近くにおりましたが、とても厳しい人で私は少し苦手意識がありました。自分自身を認めてもらえていないような気持ちがあり、少し拗ねていたのかもしれません。
私が小学生の頃、祖母と散歩に行ったことを今でも鮮明に覚えています。その頃祖母は95歳を超えておりました。歩いて10分位の距離を、休み休み時間を掛け手を繋いで往復しただけの散歩です。
道中、たくさんの話をしてくれました。母の小さい頃の話、戦争の話、勉強の話、家族の話。多くは昔話ではありましたが、私のことも興味を持って聞いてくれました。
祖母は私と兄をよく混同しておりました。同じ話を何度も繰り返すことがありました。ですがその散歩のとき、祖母は私と兄を間違うことなく、多くいる従妹たちと間違うこともなく、私の名前を呼んでくれました。
祖母はその時も同じ話を何度もしていましたが、私はその度に初めて聞いたような振りをしました。名前を呼んでくれたという、当たり前のようなことがとても嬉しかったからだと思います。
その後程なくして祖母は他界しました。
あの時の話や、一緒に観た薄曇りの景色、節くれだった細い手を今でも思い出します。私にはあれが精一杯の祖母孝行でした。
お年玉をもらうことはあっても、何か形にしてプレゼントしたことはありません。あの時もただ散歩をしただけでした。それでも祖母は私に後悔を残さないでいてくれました。
画像: ムーンファミリー (左から スターチャイルドS ・ ムーンファミリーママ ・ ムーンファミリーパパ ・ スターチャイルドワンレッグ ・ スターチャイルドキャンドル ・ スターチャイルドL)
私の子供たちは、祖父母からとても大切にされています。
深い愛情を感じます。
どうか祖父母に感謝して大切に思っていて欲しいと心から願っています。そしてその気持ちが、祖父母へも伝わっていてくれますように。